青い壺/有吉佐和子

昨夜、日々の労働がストレスフルすぎて、寝る前に田中角栄wikipediaを読み耽ってしまった。昭和の政治家や権力者の豪快エピソードと海外セレブのゴシップ記事には、締切と教授のわがままに振り回される仕事のストレスを一時忘れさせるエンタメ性がある。

なんだかジメジメした現実逃避方法だなと自分でも思うが、誇張された人格者エピソードや華麗な恋愛遍歴を夢中で辿るうちに楽しい気持ちで眠くなり、明日の仕事が心配で眠れない、という夜は少なくなる。とにかく政敵にも部下にも新人にも300万ないし500万を包みまくる田中角栄と、25歳以上の女とは付き合わないレオナルド•ディカプリオが私のなけなしの睡眠時間を守ってくれていると言っても過言ではない。田中角栄もディカプリオも、まさかこんな形で日本の片田舎の女を救っているとは、夢にも思わないだろう。

そんな(どんな?)田中角栄が逮捕され、2億円を払ってすぐに保釈された1976年、この「青い壺」は世に出た。無名の陶芸家が作った青磁の経筒が、ある時は目をかけてくれた上司に送るお礼の品として、ある時は数十年ぶりの同窓会で行った京都で見つけた掘り出し物として、デパートの一角を飾る美術品として、盗品として、数多の人の手に渡る。どの人にもその人なりの人生があり、どの人もその人なりの狭い世界で生きている。戦前の思い出を語る姑との同居や、夫が働き妻は専業主婦になるという夫婦の形、団地に住みはじめた娘息子たちが考える、実家を含めた親の遺産問題など、描かれる生活はどれもその時代性を表しているように思えるし、かつ、とても個人的だ。どの編も、思い切り笑えるわけではなければ感動できるわけでもなく、でも悲しくはないし怖くもない。ただ、青磁の経筒の所有者たちが、その人なりに懸命に生きている様子が描かれている。それがなんともいえず興味深く、面白い。

1970年代 とスマホで調べてみても、政治的な出来事ばかりが検索結果に出てきて、その時代に生きた人たちの日常の文化がどうだったかはあまり掴めない。でも「青い壺」を読むと、その当時の空気感とか暗黙の了解とか価値観とかがほんの少し実感できる。ピンクレディーがデビューし、徹子の部屋が始まり、ソ連パイロットが亡命し、田中角栄が逮捕された時代の背景には、膨大な数の人々の日常生活があり、それがどんなふうだったか、この本で想像することは、ディカプリオの元カノ遍歴を辿るより楽しく、また、寝落ちする私にいい夢を見させてくれるような気がする。

回復する人間/ハン・ガン

2003年から10年ほどの期間に書かれた短編集。

 

1.明るくなる前に

現実の流れの中に、時系列通りじゃない回想がたくさん差し込まれているので、一つ一つのエピソードをこぼさないように読み進めるのに苦労した。

自分の心の中に特別な場所があるような、そういう大切な人の突然の訃報を聞いた時だから、こういう構成なんだとわかった。その人の葬儀に行くために、航空券の払い戻しをして、妹に娘を見てもらうように頼んで、昼食を作って、着替えて、準備する。現実を淡々と進めながら、頭の中ではぼんやり、断片的に、その人と交わした言葉や出会い、深いところに触れた記憶がフラッシュバッグする。

短く端的に書かれた葬儀よりも、回想が濃い。本当の意味での弔いってなんだろうと考える。

主人公が書く「私の心臓」の最初の一文、「彼女が帰ってこない」は、ウニ姉さんが死んでしまった今、書いた時に意図していた意味とは違うけど、今でも、というか今だからむしろ本当のことであるはず。だけど、主人公は最後、「彼女が回復した」に書き換える。ウニ姉さんの葬式のあとで。

ウニ姉さんはデング熱から回復しなかったはず。抗がん剤治療を終え、要経過観察期間をすごす主人公にとって回復とは、生きることを指すはず。病気が癒えること。痛みから解放されること。ウニ姉さんが生きている限り抱いていた痛み、弟を死なせてしまった罪悪感から、死んだことで解放されたことを意味してるのかな。それとも、回復してほしかった、という願い?

悲しい話だけど主人公の周りにある生の実感、希望そのものの娘、妹、散歩道の自然の描写が美しく、穏やかだ。生きたいと切実に願った主人公の視点から見る世界だからこそなのか。

 


2.回復する人間

少し前に読んだ短編「京都、ファザード」でも書かれていた、大切な人からの愛を失った人の話。なぜなのかわからなくて、傷ついたまま、こちらから愛することも辞めようと心を固くした主人公が、それでもなお、本当に冷たい人間だったのは相手と自分のどちらだったのか、と問いかけるのも共通している。愛することをやめた姉の葬式で挫いた左足、そこにできた大火傷はいずれ回復してゆく。つまり、おそらく、姉への愛も、それによる傷もいつか回復する、ということ。でも、それを主人公はまだ知らない。回復するまでには痛みが伴うこと。主人公は今、その痛みの中にいる。

 


3.エウロパ

エウロパの歌詞は、デモに参加して、人と関わり始めたイナがいつか、エウロパのように、主人公が命の果てまで生きても触れない場所に行く、遠くなることを暗示している。その別れの、おそらく直前の刹那、夢のような夜の散歩。

 


4.フンザ

「自分が唯一の人間だという事実だった。この家でずっとずっと働き、家計をやりくりする唯一の人間。子どもが成長するまで無条件に愛情を注がなければならない、唯一の人間。」

その疲労と孤独感を、一部であれ知っている。

夫と子供の言葉の後に描かれるラストシーンが不穏で、不穏なまま終わる。

紛争地域を越えなければ行けない、フンザという地。夫や子供を失わなければ手に入れることのできない、彼女の安らぎ。

 


5.青い石

この短編集の中で一番穏やかな短編だと思った。他のどの短編も、主人公の内面は揺れているけど、この短編の主人公は揺れていない。揺れたあとの、凪。死んでしまった者が、生きている者を助ける、というハンガンの普遍的なテーマ。

 


6.左手

制御が効かなくなった左手がする行動は、この主人公の本能だと思った。理性(右手)では抑えきれなくなって、最後には左手(本能)によって殺される。犬や猫や猿ががみんなそうであるように、生き物はみな本能的に生きるのが本来で、それを抑え込んで理性で生きるのはすなわち本当は生きていないということ、自殺行為ってことだろうか、、

 


7.火とかげ

「左手」で書かれているように、左手=本能、右手=理性、なのだとしたら、どちらの手も使えなくなってしまった主人公が、生きる力を失っている理由もわかる気がする。それでも、他の短編と比べて、結末にわかりやすく光がある。生への道がはっきり描かれる。主人公はまた絵を描き始める、両の手のひらに絵の具をつけることによって。

これもまた、死んでいる者が生きている者を救う、誰かの死によって、まだ生きている者が生へ向かって回復していく、という一つの流れ。

 


全体通して、今の私には少し重く、苦しかった。「菜食主義者」と同じ感じの読後感で、感想がうまく書けなかった、、

光と糸/ハン・ガン

ノーベル文学賞受賞後のスピーチや、その前から書いていた詩、日記をまとめた本。装丁がきれいで、手に取ると無意識に表紙をなでてしまう。ページも、和紙みたいにざらざらしていてめくるのが心地よい。


1.光と糸

ノーベル文学賞受賞記念講演。

受賞発表当時にネットで読んだような気がするが、その時私はたぶん「別れを告げない」も「少年が来る」も読んでいなかったと思う。その両作品を読み終えている今、もう一度この講演をじっくり読めてよかった。二つの作品を読んだときの、体と心が深く沈む感覚と、陽の光に包まれたようなあたたかい感情が共存する、不思議な読後感を思い出しながら読んだ。


2.いちばん暗い夜にも

文学を読み、書くということの意味をこんなに明確に言語化している文章に出会えてうれしく、誇らしい。


3.本が出たあと

「別れを告げない」を書くことで救われていった、と書いてあって、なぜか深く安心した。「別れを告げない」はとても心に残っている作品なので、書いている間のメモが読めて感動した。


4.小さな茶碗

ノーベル賞受賞者はノーベル博物館というところに、記念品を寄贈するのが慣例となっているらしい。知らなかった。日常的に使っているカップを寄贈する、というのがハン・ガンらしい。


5.コートと私

感情を持たないはずの無機物になんとなく愛着をもってしまう、人間のそういうところは、いじらしく、美しいと思う。


6.北向きの部屋

ノーベル文学賞受賞のニュースで初めて顔を見た時、眩しそうに笑う人だと思ったこと、フラッシュが炊かれる華々しい場所よりも、暗闇に慣れていそうな目が印象的だったことを思い出しながら読んだ。


7.(苦痛に関する瞑想)

「別れをつげない」でキョンハが助けられなかった、インソンの鳥の姿がリフレインする。


8.声(たち)

むかし、新聞の短歌欄で見かけたある中学生の歌、「平和とは 空を見ること 話すこと 笑い合うこと 生きていること」を思い出した。手の届かない遠い空から、話すことの出来る他者へ、笑う表情へ、最後に今生きている自分にかえってくる構成が似ているからかもしれない。


9.とても小さな雪のひとひら

「別れを告げない」で幼いインソンの顔に振った雪。それが溶けないことがすごく怖かった、インソンのお母さん。


10.北向きの庭

陽の光が当たらない庭に、鏡を使って光を届ける過程で、地球の自転や、太陽の動きが日々変化してゆくことを実感したことが書かれていた。理屈ではわかっている自然の摂理を、実際に感じて、触れ合い生きてゆくことの喜び。


11.庭の日記

鏡を何枚も買ったり、一番やさしい殺虫剤を選んだり、それがうまくいったりいかなかったりするところにハン・ガンという人の内面をすこし知った気がした。平凡で穏やかでやさしい日記。


12.もっと生き抜いたあとで

最近読んだ「朝のピアノ」という本に、「誰もが、すべてのものが、永遠に生きるかのように人生を送っている」とあったのを思い出した。その本を読んで、わたしは、「いつか死ぬ時、俯いて怯えてばかりいた、美しい世界の情景をもっと目に焼き付けておけばよかったと後悔したくない」と思った。

死ぬまでに何をすべきかを考えては、諦めているけど、この詩でまた、すこし俯きかけていた背すじに手を添えられた気がした。

 


ハン・ガンの小説には、不眠と、偏頭痛がよく出てくる。ハン・ガン本人がそうなのだそうだ。書くことはこんなに消耗し、覚悟がいることなのか、と彼女の姿をニュースで見かける度に思う。

「別れを告げない」は、約7年かけて刊行したとあった。途方もなく長いようにも感じるし、出来上がった作品を読むと、たった7年でここまで、と思いもする。読む前の予想と反して、疲れも諦めも、闇に篭りきる弱さも感じなかった。

ハン・ガンの小説を読んでいる時、生まれ育った国の違いも、世代のギャップも感じず、幼い頃からの大切な友人が語っているように感じることがある。心の奥底にしまっていた思いを、勇気を出して打ち明けてくれている、必死に、まっすぐに伝えようとしてくれる。その勇気ある告白を一言たりとも聞き逃すまいと耳をそばたて、一文字たりとも読み落とすまいと目を凝らす。

この親密さが、この本の最初の編で語られる「私たちの胸と胸をつないでくれる金の糸」の一本なのだろう。それが愛だと確かめるように言う9歳の少女に、力を込めて頷く。

ほんのかすかな光でも/チェ・ウニョン

短編集。チェ•ウニョンの作品を読むのはこれが初めて。


1.ほんのかすかな光でも

「何事においても、自分の立場が定まっていないというのは、自分と無関係だと表明しているにほかならない」「自ら従順であろうとする態度」と主人公が指摘されるシーンで、どきっとした。私もそうだと思った。

主人公が彼女に抱く感情は、「憧れ」だと思うけど、こんなに繊細に丁寧に描けるものなのか、、と思った。何度も何度も思い出し、なぞっていた記憶、という感じ。

 


2.役割

語り手の一人称が「わたし」ではなく「あなた」なのが新鮮だった。はじめ、ジョンユンとヒヨンと「あなた」の三角関係かと思ったが、思っていたような三角関係ではなかった。「あなた」はふたりを何もできずにずっと見つめている。

殺された女性が、亡くなってからも利用され続けている、というヒヨンの主張に心を刺された。恋人を庇うように倒れていた、溺れ死ぬ前に手を繋いでいた、そんな、事件の顛末とは関係のないエピソードがニュース番組で公然と報道されるたび、違和感があった。出来事をドラマチックに演出して注目を集めようとする、死を利用しているのだと、そのことに違和感があったのだと、この作品を通してわかった。

ヒヨンがジョンユンにあてた最後のメールにあった、「あんなに愛したかったのに、愛する術を知らなかった」という言葉は、この短編集すべてに通ずるテーマを表していると思う。

 


3.一年

心の深いところで繋がることができる人に出会うことはとても難しいけど、その人を失うことはとても簡単だということ。すれちがってしまった心がまた重なることはない。このふたりもそうだった。それでも、「お互いを照らしていた」と感じた時間は残る。そうであってほしい。

 


4.返信

読むのが辛くなる話だった。過酷な状況にあって、姉に対する愛情はどこまでもまっすぐで、それは主人公の苦しみの原因にもなっている。姉は、愛をちゃんと受け取るための心の中の器が壊されていると思った。この短編は、姉の子ども宛の手紙という構成をとっている。この子に対する主人公の愛情も、澱みなくまっすぐで、切なくまぶしい。


5.種まき

病に倒れた彼が、彼女に手のひらを差し出して、お前の苦しみを俺にくれ、持っていくから、と言う場面で涙が出た。幼い頃と同じように、最後まで妹の苦しみを引き受けようとする彼に、自分の代わりに父親に殴られる彼を見て、いっそ殴られるのが自分だったら、と思う子どもだった彼女が傷つかないわけがなかった。

彼を失った悲しみから逃れられずにいた彼女が、娘の作文で彼との日々を振り返り、最後には娘の気持ちをあるがまま受け入れる決断をする。彼だったらどうするだろう、と、同じ手で、自分の娘の手のひらに種をあける。

タイトルの通り、やがて作物となり生きる糧となる種をまく、苦しみを断ち切って、生きる愛を継いでいく、そのはじまりの話だと思った。

 


6.伯母さんへ

伯母さんは、「あんなに愛したかったのに、愛する術を知らなかった」というテーマそのものの人だと思った。ヒジンに対する愛情はあったはずだけど、それをうまく表現できない人。その伯母を憎みながらも多分深く愛しているヒジン。わたしのヒジン、と年老いた伯母さんが言う場面が忘れられない。

 


7.消える、消えない

この短編集の中で一番、解釈が難しい話だった。届かないスーツケース、失くしたままのピアス、あたたかく親切にしてくれる他人、いつのまにか消えたハンドバッグ、眠れない夜は、主人公の老いを表現しているのだろうか。親に捨てられ、他人に搾取された幼少期、次女を偏愛し長女を虐待する夫、どうすることもできなかった自分、それを見て育った2人の娘は、一方はアルコール依存症になり、一方は冷たい人間になった。それらを恥ずかしく思う主人公に、孫があたたかい言葉をかけてくれ、主人公はかすかな希望を感じるが、かすかすぎて、、、


愛し愛されることの難しさ、愛されないことの孤独、ひとことでは言い表わすことができない感情を丁寧にやさしく表現している文章だと思った。

 

他の作品も読んでみたい。

あなたのことが知りたくて

日韓の作品が交互に入っている短編集。

年末年始休みの前半と、1/9-1/11福島出張の往復の飛行機の中で読んだ。

 

1.チョ•ナムジュ「離婚の妖精」

二つの家庭で、それぞれの妻に捨てられた夫たちの会話から始まる。スヨンが夫に「説明してもあなたには理解できない」というのが印象的だった。男には決してわからないという諦め、女なら誰でも覚えがあるんじゃないか、、、ただここでスヨンの夫がウンギョンの夫と違うのは、それでも説明を求め、質問して、ちゃんと分かろうとするところだ(理解できた、とあるものの、その後の言葉を見るに、結局わかってないのだけど)。

 


2.松田青子「桑原さんの赤色」

夜野の口調は現代の高校生や大学生のスタンダードな口調だなーと思った。あまり好きではなかった。

 


3.デュナ「追憶虫」

追憶虫という寄生虫による症状で、友人に恋をする話。自分のものではない感情と自分のそれの境目がわからなくなるのも自覚しながら、蕩けるような熱烈な恋心に身を任せてゆく描写が印象的だった。

 


4.西加奈子「韓国人の女の子」

西加奈子の作品を初めて読んだ。疾走感と熱を持ったまましっかりバランスを保っている文章だと思った。

自分自身の痛みが、その扱い方がわからないほど大きすぎる時、相手の痛みを分かろうとすることに蓋をして、お互いを傷つけあって摩耗して壊れること。決定的に間違っていたと今ではわかる記憶と、間違っているけど間違っていると口に出せない今。

 


5.ハン•ガン「京都、ハザード」

相手との間にかつて確かにあった情が、もしかしたら自分の臆病さやまちがいが相手を傷つけたせいで、失われていったことへの悲しさと後悔の話。理由を探してもどうしようもない、この独特の悲しさと後悔をいつか感じたことがある。

 


6.深緑野分「ゲンちゃんのこと」

子供は純粋だとよく言われるけど、純粋って悪く言えば無知であるということでもある。無知を自覚し、バックボーンやそれに対する世間の根深い偏見や差別を知り、純粋、無知なまま戦えない世界があると知る、その時期の話だと思った。

 


7.イ•ラン「あなたの能力を見せてください」

「なんでこんなふうにしかできないんだろう?」その気持ち感じたことある!

 


8.小山田浩子「卵男」

よくわからんーーーー

卵が何を表しているのか市場の意味が何か、作品で何を言いたいのか、考えても考えてもわからない

意味ないのかなーーでも意味ないならなんで書くのか、、何か意味があるはずなんだけど、、

 


9.パク•ミンギュ「デウス•エクス•マキナ deus ex machina」

不思議な文体と不思議な話。終末論っていろいろあるけどこういうのは想像してなかったし他でもあまり見たことない。かつてのノストラダムスの予言にあった「恐怖の大王」がこれだったらかなり嫌だな、、

私は無宗教に近いタイプの人間だけど、世界を作った神様がいつでも人間の行いを見てる、みたいな考えって割と人間本位で、実際はこんな感じかも。意味なく、作られ、急に終わる。

 


10.高山羽根子「名前を忘れた人のこと Unknown man」

あまり印象がない。無知だという自覚と、加害者側なのかもしれないというおそれから、あまり相手のバックボーンを詳しく聞けなかった、それについて筆者が考えている過程。日記をそのままエッセイにしている感じで、これを他者に読ませる意味ってそんなにないんじゃないかと思ってしまった。

 


11.パク•ソルメ「水泳する人」

結局全然部屋探ししない主人公。あまり好きではなかったーー

 


12.星野智幸「モミチョアヨ」

軽く読みやすくて面白かったけど、このノリの作品をこの短編集の最後に持ってくるのは本気で理解に苦しむ。テーマも全然違うし、、

 


ハンガン以外は作品に触れたことのない作家ばかりだったけど、チョ•ナムジュと西加奈子は他の作品も読んでみようと思った。

朝のピアノ/キム・ジニョン

1/4-1/6まで3日ほどかけて読んだ。

哲学に疎いので、理解が難しい言葉がたまにあった。わかるような、わからないような、、息が苦しくなる、頭がきりきりぐらぐら。

この本が死の3日前までのメモであるということ、本文の途中に、25年前に亡くなった49歳の弟、とあったことにとても驚いた。となると著者はこれを書いた時、74歳以上...

年齢的にも、死の3日前という状況的にも、身体はものすごく衰弱しているであろうときに、心はこんなにも豊かにゆらぎ、世界を見つめ、言葉を書き留められるほど柔らかく活動的にいられるのか、こんなにも魅力的に生きていられるのか、という驚き。逆説的。

本編を読み終え、訳者あとがきを読んでいる途中に、なぜか涙が出た。あとがきの文章に感動したわけではなく、本文の余韻が少し遅れてやってきたのだと思う。本文を最後まで読んだ時、私の勘違いで、この著者は実は病気を克服して今も生きているのかな?と思うほど、全てに別れの匂いがなかった。タイトルにもある言葉、朝の光に包まれたような気持ち。

少年が来る/ハン・ガン

アスファルトに広がる黒いしみは何だろう。雨跡のようにもひどい火傷の跡のようにも見えるそれが血だとしたら、武装した軍人たちじゃなく、柔らかく薄い春服を着た市民たちのものだろう。淡い色のシャツを着て、スニーカーを履いている。向かう軍人の装備はひどく大袈裟に見える。まるで春服の彼らを恐れているように。彼らと同じ皮膚を持っていることをひたすら隠すように。


市役所前でバスを降りて、仕事終わりの大人や学校帰りの子供達でごった返している狭い道を歩く。短い花冷えの後、初夏の気配にワードローブを薄くした人たちの首や腕に、さっき本で読んだ描写が重なる。自分の手の甲を見る。あの虐殺とおよそ結びつかない、柔らかく清潔で、健康そうな皮膚。でも何が違うというのだろう?あの日あの場所にいた若者たちの皮膚と。その皮膚に、彼らがその後されたことを、誰が生々しく想像できただろう?

 

人間は根本的に残忍なのか、という問いのことをずっと考えている。人間が人間をどういう風に壊したか、この本を通じて(断片的であれ)知り、そのおびただしい量の血で胸が塞がるような気がした。

側から見ているだけの私が、どうしてそんな酷いことができたんだろうと思うことはそれ自体とても傲慢に思える。あの日一番多くの市民を殺した軍人も私も同じ人間なのに、彼の血も私のそれと同じ色をしているのに、群衆の中で肥大化した彼の残忍性と同じものが、自分の中には決して存在しないとどうして言い切れる?

人間はそれぞれの正義や理由さえあれば、群衆の中にいれば、人を殺せるのだろうか。生き残ったとしても死ぬまでずっとその人を苦しめる方法で、人を壊せるのだろうか、わたしも。

 

少しずつ重なっているそれぞれの記憶を辿って、最初の少年に出会いなおす構成だ。残された者たちがどういう風に生きてきたか、生きている限り忘れられない記憶を抱えて、どう生きざるを得なかったか。壊されてなお残されること、その果てのない痛み。各章で語られる記憶に、偶然に交差する少年の姿、ある者にはあの日守れなかった少年として、ある者には共に残った弟分たちのうちのひとりとして、ある者には息子として。少年を含むたくさんの「彼ら」が死んで自分が生き残ったのはどうしてか、答えはないとわかっていても考えながら生きる人たちのこと。

誰のこともこんな風に苦しめたくないと思う。

人間である限り、私の中にも確実にある残虐性で、誰かをここまで壊したくない、決して。

そのために考え続ける。